2010年9月8日水曜日

大和ミュージアム



3日目の呉市の視察が終了した後、「大和ミュージアム」へ寄って来ました。呉市にとって観光施策のまさに中心的な存在であるこのミュージアムには年間100万人以上の方が訪れ、開場5年目で600万人のイベントが私が訪れる1週間前に行われたそうです。ミュージアムの開設にあたり、当時、箱物施策だ!と批判を浴びたと伺いましたが、数字が表わすように多数の来客で国民の戦争に対する思い、戦争という出来事を後世に伝えていくことは改めて重要なんだということを認識しました。1時間にわたり、空母信濃に船上、犠牲となられた海軍さんのお孫さんという学芸員の方に熱のこもった解りやすい説明を受けました。館内へ入ると先ず10分の1の戦艦「大和」に圧倒されます。呉海軍工廠(海軍直轄の工場)で、当時の最先端技術の集大成でありながら極秘裏に建造された世界最大の戦艦でありましたが、昭和20(1945)年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没、乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。しかし、戦艦「大和」建造の技術が現在、世界一の大型タンカー建造だけにとどまらず、自動車や家電品の生産など幅広い分野で応用され、戦後の日本の復興を支え、その中心となったところが呉市だったということです。他にも実物の零式艦上戦闘機62型や人間魚雷「回天」(ここのミュージアムでは試作型ですが、唯一実物は靖国神社の遊就館に展示)などが展示されており、戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えておりました。戦争を見て聞いて知ることの重みは戦争を知らない我々にとって教育の一貫であると考えます。終戦の日、私は哀悼の意をこめて靖国参拝を行っておりますが、悲惨な戦争が起きぬよう祈っております。
話は変わりますが、学芸員の方から「肉じゃが」のルーツは呉市という説明をされました。海軍司令官、東郷平八郎がイギリスへ留学した際、ビーフシチューの美味しさに感動。帰国後、呉市で東郷平八郎がビーフシチューを模して作らせたのが由来だそうです。さすがにデミグラスソースなど作ることはできず、醤油をベースで作ったのが「肉じゃが」だったということです。呉市の人いわく、「肉じゃが」の肉は牛肉以外考えられないそうです。